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【ルネ・クレール レトロスペクティブ】

11月19日(金)~12月16日(木)上映

日時

11月19日(金)~12月16日(木)上映

料金

【特別料金】一律¥1,400/UPLINK京都会員¥1,300/UPLINK京都ユース会員(22歳以下)¥1,200/障がい者割引¥1,000 ※サービスデー適用外

詳細 DETAIL

【ルネ・クレール レトロスペクティブ】

チャップリン、小津安二郎、ジャック・ドゥミら世界の監督から敬愛された
映画の原点を作った巨匠ルネ・クレール監督没後40周年特別企画

【全体上映スケジュール】

それぞれの作品名から作品紹介・予約ページへ行くことができます。

11月19日(金) 巴里祭』11:15~
ル・ミリオン』13:15~
11月20日(土) リラの門』11:15~
自由を我等に』13:15~
11月21日(日) 巴里の屋根の下』11:15~
巴里祭』13:10~
11月22日(月) 自由を我等に』11:15~
リラの門』13:05~
11月23日(火・祝) ル・ミリオン』11:15~
巴里の屋根の下』13:05~
11月24日(水) 巴里祭』11:15~
自由を我等に』13:15~
11月25日(木) リラの門』11:15~
ル・ミリオン』13:20~
11月26日(金) 巴里の屋根の下』9:55~
巴里祭』11:55~
11月27日(土) 巴里祭』9:55~
ル・ミリオン』11:55~
11月28日(日) リラの門』9:55~
自由を我等に』12:00~
11月29日(月) ル・ミリオン』16:40~
巴里の屋根の下』18:30~
11月30日(火) 巴里祭』16:40~
自由を我等に』18:40~
12月1日(水) リラの門』16:40~
ル・ミリオン』18:40~
12月2日(木) 巴里祭』16:40~
リラの門』18:35~
12月3日(金) 巴里の屋根の下』9:50~
12月4日(土) 自由を我等に』9:50~
12月5日(日) ル・ミリオン』9:50~
12月6日(月) リラの門』9:45~
12月7日(火) 巴里の屋根の下』9:50~
12月8日(水) ル・ミリオン』9:50~
12月9日(木) 巴里祭』9:50~
12月10日(金) リラの門』18:40~
12月11日(土) 休映
12月12日(日) 休映
12月13日(月) 巴里祭』18:40~

12月14日(火) 自由を我等に』19:20~
12月15日(水) 巴里の屋根の下』18:40~
12月16日(木) ル・ミリオン』19:20~

<映画の原点を作った4大巨匠の一人>と言われるルネ・クレール。26歳の若さで、写真家マン・レイや画家マルセル・デュシャン、音楽家エリック・サティらとシュールレアリスム短編映画『幕間』(1924)を発表。映像と音楽の大胆なコラボレーションを試み、世界を熱狂させた天才作家だ。チャップリン、小津安二郎、ジャック・ドゥミといった名だたる監督に影響を与えた、まさにフランスの至宝。没後40周年の今、クレールの40年以上に渡るフィルモグラフィーを紐解くと、映画に新たな息吹をもたらし、フランス映画の黄金時代を築き上げた多彩さに、驚かずにはいられない。

無声映画からトーキー、モノクロからカラー映画、ワイド・スクリーンへと映画技術が目まぐるしく発展していく中で、常に第一線の監督として活躍し続けた。今回のベストセレクションの中心は1930年代のトーキー初期に作られたクレールの傑作群。『巴里の屋根の下』(1930)『巴里祭』(1933)は今でも歌い継がれるシャンソンの名曲を主題歌に導入、パリの下町で花咲く若者たちの恋の行方を描いた。『ル・ミリオン』(1931)はドタバタした動きによる笑いを随所に散りばめ、『自由を我等に』(1931)では貧富の差が広がる社会への批判を込めながら、男たちの友情と恋を大らかに描いた。

第二次世界大戦時には、戦火を逃れてアメリカへ渡るが、『奥様は魔女』(1942)でソフィスティケーティッド・コメディに影響を与え、ハリウッド映画史にも足跡を残す。その後、母国へ戻ってからは、『悪魔の美しさ』(1949)、『夜ごとの美女』(1952)、『夜の騎士道』(1955)などで、ジェラール・フィリップをフランス最高のスターに育て上げた。そして、ベストセレクションの最後を飾る『リラの門』(1957)は、クレール円熟期の集大成。伝説的シャンソン歌手ジョルジュ・ブラッサンスとの幸運な出会いにより、ユーモアたっぷりの可笑しくも切ない人情喜劇の傑作を作りあげた。

偉大な映像作家、ルネ・クレール没後40周年メモリアルイヤーに、4Kデジタル修復版で現代に蘇ったトーキー初期の大ヒット4作品と円熟期の傑作を、時を越えてスクリーンで観る喜び。映像と音楽の素晴らしい融合が観る者の想像力を掻き立てる、リリカルでファンタジックな世界。耳に残る歌声とユーモアたっぷりの大らかな恋と友情の物語が、優しく心に響きわたる―

ルネ・クレール René Clair

1898年11月11日、パリ生まれ。本名ルネ=リュシアン・ショメット。父はパリ中央市場の商人。兄は映画監督アンリ・ショメット。1916年兵役を免除されるが、負傷兵救助協会に入る。1918年に記者に採用され、ルネ・ダンスニ名義で詩『大いなる幻影』(1919)、小説「怪物たちの鳥」(1920)などを出版。1920年には、友人を介して知り合ったロイ・フラー監督の映画「人生の百合」(未)に王子様役で出演し役者デビュー。その後、ルイ・フィヤード監督の連続活劇「孤独の娘」(1921)、「パリゼット」(1921)など7本の映画にルネ・クレール名義で出演。1922年、兄のアンリらと共にベルギーに行き映画演出を学ぶ。
1923年、初監督作「眠るパリ」を撮影。1924年、フランシス・ピカピア創作のバレエ「休演」(音楽エリック・サティ、振付ジャン・ボルラン)の幕間に上映するシュールレアリスムの短篇映画『幕間』を撮影。画家ルセル・デュシャン、写真家マン・レイなども出演した。この頃、ロシア領ポーランド生まれの舞台装置家ラザール・メールソンと知り合う。1925年、『幕間』「眠るパリ」公開。1926年5月、ブローニア・ペルルミュテルとの間に⾧男ジャン=フランソワ誕生。1928年6月、ブローニア・ペルルミュテルと結婚。1930年、初のトーキー映画『巴里の屋根の下』を撮影し、軽快な音楽、歌曲を組み合わせた。『ル・ミリオン』(1931)、『自由を我等に』(1931)、『巴里祭』(1933)、『最後の億万⾧者』(1934)等を発表、日本でも高く評価された。
1934年から1938年にかけて英国ロンドンに滞在し、『幽霊西に行く』(1935)など2本の作品を発表。1940年、スペイン経由で米国に亡命、『焔の女』(1941)でハリウッド・デビューを果たす。『奥様は魔女』(1942)『そして誰もいなくなった』(1945)など5本の作品を発表したが、ヴィシー政権に国籍を剥奪される。
1946年フランスに帰国し、第1作『沈黙は金』撮影。1948年にジェラール・フィリップと出会い、翌年ファウスト伝説に基づく『悪魔の美しさ』に起用、1959年にはジェラール・フィリップ主演のミュッセ劇「戯れに恋はすまじ」を演出、フィリップ最後の舞台出演作となる。同年、『沈黙は金』(1947)、『悪魔の美しさ』(1949)、『夜ごとの美女』(1952)、『夜の騎士道』(1955)、『リラの門』(1957)の台本を収めた「劇と解説集」刊行。
1960年には、映画人として初めてのアカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。1970年来日し、9月9日大阪万博プレスセンターにて「芸術と進歩」講演。著書「ルネ・クレール 映画をわれらに」(邦訳フィルムアート社)刊行する。1981年3月15日、⾧年住んだパリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌのアパルトマンにて死去。