日時
上映中~12月7日(木)※上映終了
料金
一般¥2,000/シニア(60歳以上)¥1,300/ユース(19歳~22歳)¥1,100/アンダー18(16歳~18歳) ¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800/UPLINK京都会員¥1,100(土日祝¥1,300)/UPLINK京都ユース会員(22歳以下)いつでも¥900/障がい者割引¥1,000
上映中~12月7日(木)※上映終了
一般¥2,000/シニア(60歳以上)¥1,300/ユース(19歳~22歳)¥1,100/アンダー18(16歳~18歳) ¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800/UPLINK京都会員¥1,100(土日祝¥1,300)/UPLINK京都ユース会員(22歳以下)いつでも¥900/障がい者割引¥1,000
※当館では2K上映
2021年、ユーロスペースで行われたれレトロスペクティブ「作家主義 相米慎二」。相米慎二を知らない若い観客がコロナ禍にもかかわらず押し寄せた。全13作品上映の中でもいちばんの動員を記録したのが「台風クラブ」。相米慎二のマスターピースである「台風クラブ」がついに「4K」で蘇る。「作家主義 相米慎二2023」として、いままた新たな発見が始まろうとしている。
それは1985年にはじまる。第1回東京国際映画祭・ヤングシネマ部門。審査員のベルナルド・ベルトリッチが激賞、「台風クラブ」はグランプリに輝いた。2001年、9月11日、アメリカ同時多発テロ発生。その2日前、相米慎二は逝った──。
近年、急速に国際的な再評価が高まっている相米慎二。台湾・香港のアカデミー賞と言われる金馬奨。一昨年、相米慎二監督の特集が行われ、「台風クラブ」に対し、ホウ・シャオシェンは言った。「──これが、映画だ。」。本年4月、アメリカ・ニューヨークのジャパン・ソサエティ―でも7作品の特集上映が行われた。その海外での再評価の波はさらに広がりを見せている。9月8日からニューヨークで「台風クラブ4K」と「ションベン・ライダー」の公開も決まった。
2001年に夭折した相米慎二。その神話的な一本が「台風クラブ」である。待望の「4K」で、2023年秋に新生。冒頭、プールサイドでバービーボーイズの「暗闇でDANCE」をラジカセで鳴らし、踊り狂う少年少女たち。真っ暗と逆光のその映像が、よりリアルに、よりセクシャルに覚醒を遂げる。近年の上映で若い観客は「台風クラブ」を「ファンタジー」映画として見ていることが取材等でわかってきた。ギリギリの刹那、それでいて、どこか異次元の空間と時間を生きているような感覚。そして、性と死。そうした「リアル」「エロス」「ファンタジー」という要素は、相米自身が夢幻していたかもしれない「画像」となって、「4K」で新しく生まれ変わる。相米慎二も、「台風クラブ」も、常に現代であり、それは、映像の未来でもある。全く新しい映画として、観たすべての者が(初見の者も含め)、新しい映像体験をすることであろう。
中学校の校庭の一角に夏の名残をたたえてひっそりとプールがある。木曜日。二学期が始まって間もないむし暑い夜。
暗闇の中で時おりはねて、坊主頭が見え隠れしている。突然、プールの照明が一斉について、ロックが鳴り出した。
歓声をあげてなだれ込んできたのは、水着姿の高見理恵、大町美智子、宮田泰子、毛利由美、森崎みどり。・・・・・・水の中で山田明が動かなくなっている。慌てた少女たちは人を呼びに田舎道まで走ってくると、同じクラスの三上恭一と清水健がジョギングしているのに出会う。
恭一が明に人工呼吸をしているうちに、担任の梅宮が呼び出された。
小さな風は、やがてくる台風によって、彼ら少年少女たちを閉じ込め、狂わせていく・・・・・・。
1948年1月13日、岩手県盛岡市で生まれた。父親の転勤で6歳の時に北海道標茶町に転居し、1958年に父親を失う。その後小学校5年の時に札幌市、中学3年の時に釧路市に移る。北海道釧路江南高等学校を卒業し、中央大学文学部に進学、1972年同大を中退、長谷川和彦の口利きで契約助監督として日活撮影所に入所した。長谷川や曽根中生、寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた。助監督時代には杉田二郎のペンネームも用いている。1976年にフリーランスとなる。1980年、薬師丸ひろ子主演の「翔んだカップル」で映画監督としてデビューした。翌1981年、「セーラー服と機関銃」で興行的な成功を収めた。1982年6月、長谷川和彦、根岸吉太郎、黒沢清ら若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(ディレカン)を設立。1983年には吉村昭原作の「魚影の群れ」を発表。
1985年の「台風クラブ」は第1回東京国際映画祭(ヤングシネマ)でグランプリを受賞し、キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)の55位にランクインしている。同年、斉藤由貴の映画デビュー作となった「雪の断章―情熱―」を監督した。また、同年のロマンポルノ作品「ラブホテル」は大きな反響を呼んだ。
その後、1993年の「お引越し」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。同作は第46回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。翌1994年には湯本香樹実原作の「夏の庭 The Friends」を発表。湯本に原作小説を執筆するように勧めたのも相米監督であった。1998年の「あ、春」は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2001年、小泉今日子主演の「風花」を発表。一方で、1985年より数々のCMの演出を手がけ、また1991年と1993年には三枝成彰作曲のオペラ「千の記憶の物語」の演出を担当している。
2001年10月には舞台初演出となる「Defiled」の上演、また翌2002年には自身初の時代劇での監督作品となる浅田次郎原作の「壬生義士伝」の映画化作品のクランクインを予定していたが、2001年6月、体調不良のため病院で検査を受けて肺癌を告知され、同年8月中旬より療養生活を送り、同年9月5日に容体が急変して9月9日16時10分に神奈川県伊勢原市の病院で死去した。53歳没。同年1月公開の「風花」が遺作となった。葬儀は9月14日に築地本願寺にて営まれた。没後は青森県三戸郡田子町相米地区にある先祖代々の墓に埋葬され、同地区には「相米慎二慰霊碑」が建立された。
『台風クラブ 4Kレストア版』※当館では2K上映(1985年/115分)
監督:相米慎二
出演:三上祐一、紅林茂、松永敏行、工藤夕貴、大西結花、会沢朋子、三浦友和
脚本:加藤祐司
製作:ディレクターズ・カンパニー
配給:A PEOPLE CINEMA